ベアリングは、それが使用されるものに適用して発達してきました。ベアリングがその真価を最初に発揮したものは、19世紀の後半に現れた自転車でした。自転車はベアリングの採用によって運転に要する労力を著しく軽減し急速に発展していきました。


自転車の出現から10数年を経過した19世紀の終わりに、いよいよ自動車が生まれ自転車で経験済みのベアリングと空気入りタイヤを受け継いで順調に発展していきました。


アメリカにおいて20世紀に入り、フォードが世界初の自動車大量生産方式を考案し、T型フォードの開発で一般大衆にも手が届く製品にし急速な発展を遂げベアリングは重要な自動車部品として需要されそれに伴い製品の多様化も進んでいきました。ベアリングはついでコンピューターエレクトロニクスついで航空宇宙産業にもその幅を広げ対応していきました。




【19世紀に生産されたイギリス製自転車】


日本にはじめてボールベアリングが紹介されたのは明治43年世界的に有名なスウェーデンを本拠地とするSKF社がサンプルを送りこんできたのが最初でした。SKF社の創立は明治40年(1907年)ですが東洋の新興工業国日本はいち早く有望な市場として注目されたのでした。国産製品が企画されだしたのは大正3年ころからですが、昭和12年ころからのおよそ、20数年間はSKFを中心とする外国製品が主流となっていました。


その後日本は戦時体制への移行に伴いベアリングは国の要請による軍需産業として強力な育成策がとられ、急速に発展していきました。そして戦時中は、外国製品の輸入が閉ざされた為国産品一式となり自給自足の体制で推移していきました。


昭和30年に入ると日本の経済は高度成長期でベアリング工業界もまた自動車工業を中心とする各種機械工業の革新的な発展と共に成長発展を遂げていきました。
この時期ベアリング工業に対し政府は保護政策と近代政策を打ち出しました。それは、外国製ベアリングを輸入を許可制にし設備近代化政策を実施し、日本のベアリング工業の発展を助長し、国際水準レベルまでのアップを可能にしました。
この当時、日本のベアリング工業の成長ぶりは世界の注目の的とされました。


世界のベアリング市場には古い伝統を誇るスウェーデンのSKFとアメリカのティムケンの二大国際コンツェルンが強大な支配力を持ち、世界の主要工業国のほとんどは、このどちらかの息が掛かっていました。ところが日本に関してのみはニ大コンツェルンのどちらにも従属することなく独自の力で地歩を固め発展を遂げていきました。




【左:1927年製フォードT型 / 右:1928年製スチュードベーカー】


世界の主要軸受メーカー創業の歴史を振り返ってみれば、円すいころ軸受製造するアメリカのティムケン社が創設されたのは1889年。ティムケン型テーパーローラーベアリングの開発者H・ティムケンの創設したローラーベアリングの専門メーカーとしてアメリカにおいて後に自動車用を主体とするテーパーローラーベアリングを市場を独占、1944年以降カナダ、イギリス、オーストラリア、ブラジル、アフリカ等々へ次々と直系会社を進出させていきました。


ドイツでは、FAGが自転車用のスチールボールの生産に成功したのはそれより早い1883年、同じ自転車用の軸受を製造する英国ホフマン社が創設されたのはティムケン社と同じ1889年。繊維機械用軸受の製造からスタートしたのはSKF社で1907年創業。またドイツのフィッシャーはそれより早い1883年に発足しました。
イギリスのホフマン、アメリカのティムケン、ハイアットなどの海外ベアリングメーカーのほとんどが20世紀初頭に事業の基礎を固めたのでした。


一方、日本におきましては、日本精工が1914年に1918年には東洋ベアリング(現NTN)が、次いで光洋精工が1921年にそれぞれ創立されました。いずれも第一時世界大戦以降のことでSKFなどの輸入品を国産製品に置き換える目的で創業され製造対象も補修品などに限られていたものの、その後軍需によってベアリング生産は大幅に拡大することになりました。